恐怖心に負けた人の話
2004年10月22日 スポーツ名古屋から岐阜に行って、女子テニスのトーナメントを見ていた
時のこと。
ダブルスの試合だったのですが、試合序盤は割に競り合って
いいゲームだったのですが、中盤に入り、サービスダッシュを
してきたプレイヤーに相手の選手がハードヒットでそのプレイヤー
にぶつけてきました。
その時はボールは直撃することなく、ラケットにはねてから、
体にあたり、肉体的なダメージはなかったのですが、どうも
精神的なダメージというか、恐怖心がこのプレイヤーに植え付け
られてしまいました。
その後の試合展開は一方的なものになりました。
このプレイヤーの体に、足元に速いボールがくると、一歩
まごついてから対応することになり、相手にチャンスがやって
きて決められてしまうというゲームの連続になり、ワンサイドで
破れてしまいました。
この試合を見ていて思い出したのが、ファッビオ・カルパーニ
というライダーのことです。
97年ヨーロッパ選手権の250ccクラスでいい成績を残し、
98年彼は世界グランプリの500ccにステップアップして
来ました。
将来が楽しみで多くの人に才能を認められていた彼ですが、
開幕戦の鈴鹿、彼は200キロオーバーでクラッシュしてしまい
ました。
その後の彼は鈴鹿での恐怖心から持ち前のスピードと思い切りの
良さを失ってしまいました。
失意のシーズンの翌年、彼は走るクラスをスーパースポート
世界選手権に替えて、再起を図りました。
私と彼とは会えばぐだぐだ話をするような仲だったので、
何事も率直に話をしていたのですが、一つだけ彼に対して、
口に出せないことが存在しました。
私がマウロ・サンキーニのチームでお手伝いをしていた時のこと。
(彼はこの年、スズキのマシンでスーパースポート世界選手権に
参戦していました。)ファッビオが我々のところにやってきました。
オランダのアッセンという、ライダーにとって、難易度の高い
サーキットで一回目の予選が終わって、その日の夜にタイムの
上がらなかった彼はマウロにタイムアタックの方法やライディング
について相談にやってきました。
コース図を手に取りながら、マウロが「ここは二速、ここは三速」
などと説明していたのですが、あるコーナーのこと、
マウロが五速で走っているコーナーをファッビオは三速で走って
いました。
一般の道でのドライビングでも一速や二速違えばかなり違うの
ですが、レーシングスピードで二速違えば、これは相当違います。
ファッビオはこの事実がショックだったようです。
顔からこの事実を受け入れたくない様子が伝わってきました。
マウロとファッビオは、激しいライバル意識を抱いているわけ
でも意識しあっているわけでもなかったので、別に相手が驚く
ようなことを言ってプレッシャーをかけるとか心理戦を使う必
要性など全くなかったので、マウロの言っていたのは真実だった
と思います。
その後のマウロは紆余曲折あったのですが、スーパーバイク世界
選手権のレギュラーライダーとして活躍し、未だ未勝利であるの
ですが、レースの世界で認められ、快走を見せることしばしば
です。(今年の雨のミザノの頑張りには涙が出そうになりました。)
一方ファッビオはこの会話の後、予選落ちを喫して、その後、
欠場し、サーキットで姿を見せなくなりました。
そう、私が仲のいい彼に言えなかったことというのは、
走るのを辞めて、違うことを考えた方がいいということでした。
ライダーにこんなきついことを言うのはどうかと思い、
言わなかったのですが、恐怖心が抜けず、他のライダーが五速
で走っているところを三速で走っているライダーは姿を消し、
ヘルメットを脱ぎました。
テニスプレイヤーが相手からハードヒットで体を狙われたり
ライダーが高速走行中にクラッシュしても、恐怖心を抱かなかった
り、怖さを簡単に克服できるプレイヤーやライダーが世界の
トップに行くことができるのでしょう。
時のこと。
ダブルスの試合だったのですが、試合序盤は割に競り合って
いいゲームだったのですが、中盤に入り、サービスダッシュを
してきたプレイヤーに相手の選手がハードヒットでそのプレイヤー
にぶつけてきました。
その時はボールは直撃することなく、ラケットにはねてから、
体にあたり、肉体的なダメージはなかったのですが、どうも
精神的なダメージというか、恐怖心がこのプレイヤーに植え付け
られてしまいました。
その後の試合展開は一方的なものになりました。
このプレイヤーの体に、足元に速いボールがくると、一歩
まごついてから対応することになり、相手にチャンスがやって
きて決められてしまうというゲームの連続になり、ワンサイドで
破れてしまいました。
この試合を見ていて思い出したのが、ファッビオ・カルパーニ
というライダーのことです。
97年ヨーロッパ選手権の250ccクラスでいい成績を残し、
98年彼は世界グランプリの500ccにステップアップして
来ました。
将来が楽しみで多くの人に才能を認められていた彼ですが、
開幕戦の鈴鹿、彼は200キロオーバーでクラッシュしてしまい
ました。
その後の彼は鈴鹿での恐怖心から持ち前のスピードと思い切りの
良さを失ってしまいました。
失意のシーズンの翌年、彼は走るクラスをスーパースポート
世界選手権に替えて、再起を図りました。
私と彼とは会えばぐだぐだ話をするような仲だったので、
何事も率直に話をしていたのですが、一つだけ彼に対して、
口に出せないことが存在しました。
私がマウロ・サンキーニのチームでお手伝いをしていた時のこと。
(彼はこの年、スズキのマシンでスーパースポート世界選手権に
参戦していました。)ファッビオが我々のところにやってきました。
オランダのアッセンという、ライダーにとって、難易度の高い
サーキットで一回目の予選が終わって、その日の夜にタイムの
上がらなかった彼はマウロにタイムアタックの方法やライディング
について相談にやってきました。
コース図を手に取りながら、マウロが「ここは二速、ここは三速」
などと説明していたのですが、あるコーナーのこと、
マウロが五速で走っているコーナーをファッビオは三速で走って
いました。
一般の道でのドライビングでも一速や二速違えばかなり違うの
ですが、レーシングスピードで二速違えば、これは相当違います。
ファッビオはこの事実がショックだったようです。
顔からこの事実を受け入れたくない様子が伝わってきました。
マウロとファッビオは、激しいライバル意識を抱いているわけ
でも意識しあっているわけでもなかったので、別に相手が驚く
ようなことを言ってプレッシャーをかけるとか心理戦を使う必
要性など全くなかったので、マウロの言っていたのは真実だった
と思います。
その後のマウロは紆余曲折あったのですが、スーパーバイク世界
選手権のレギュラーライダーとして活躍し、未だ未勝利であるの
ですが、レースの世界で認められ、快走を見せることしばしば
です。(今年の雨のミザノの頑張りには涙が出そうになりました。)
一方ファッビオはこの会話の後、予選落ちを喫して、その後、
欠場し、サーキットで姿を見せなくなりました。
そう、私が仲のいい彼に言えなかったことというのは、
走るのを辞めて、違うことを考えた方がいいということでした。
ライダーにこんなきついことを言うのはどうかと思い、
言わなかったのですが、恐怖心が抜けず、他のライダーが五速
で走っているところを三速で走っているライダーは姿を消し、
ヘルメットを脱ぎました。
テニスプレイヤーが相手からハードヒットで体を狙われたり
ライダーが高速走行中にクラッシュしても、恐怖心を抱かなかった
り、怖さを簡単に克服できるプレイヤーやライダーが世界の
トップに行くことができるのでしょう。
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